はは

父の話をしたので母親のほうも

父親は小学生のころ亡くなったのでまばらな思い出しかないです。まあ思い出といっても温もり豊かな思い出なんて皆無で殺伐とした毎日が怖かったっていう思い出しかないんですけどね。


全身刺青だらけですぐに殴ってくるような父親でしたから。無免許運転、酒飲み、パチンカス、多重債務者


人のお年玉をパチンコに使うようなろくでもない父親でした。

そんな父親に母親はどこがよくて一緒になったのか全くいまだにわからないしもはやどうでもいいかな


母親は身寄りが元々ないような環境で育ちどう生きてきたか聞いても濁してきていまだに素性がわかりません。


勉強なんかも教えるということができないのかなんなのか間違えるとよく叩かれてました。


普通ならわかるように説明するのが親だと思うんだが叩くのみでした。そりゃ向上しないよね。


夫婦喧嘩の八つ当たりでよく殴られてたりもしたな母親には。


父親が死んで埼玉から栃木に引っ越し親戚のもとで少しお世話になったんですが、父親の残した借金だの過去の行いの悪さがふりかかるわけですよ。

居心地が悪いことこの上なかった。


月日は経ち母親はどこから見つけてきたのかわからないパキスタン人と一緒になるわけですが、数年で離婚。お化け屋敷のような家に昭和に作られたであろうタイルでおおわれた風呂場、水洗じゃないトイレ、家自体が明らかに傾いている欠陥だらけのところに今は知的障害児の弟と住んでます。


父親といい母親といいまともじゃないと思うんだがまともに会話にならないので母親に自分から会いにいくことはありません。


隣の芝生は青すぎてまぶしいくらいです。


好き勝手なことばっかり書いてますが手記みたいなものだと思って書いてますご容赦ください